時計ブランドの「SEIKO」は有名です。
今は、グループの「EPSON」のほうが有名になってしまった感はあります。
しかし、日本の時計メーカーというと、やはりSEIKOを思い浮かべますね。
そのSEIKOは2011年からマーケティングの方針をがらりと変えました。
高級時計「グランドセイコー」の広告塔に、プロアスリートを起用しました。
ダルビッシュ投手や、ドイツブンデスリーガで活躍する武藤嘉紀選手です。
新たなブランドイメージで、比較的若い層にアピールする戦略に方向転換しました。
それと同時に、「セイコープレミアムウオッチサロン」の設置も開始ししました。
なぜ、SEIKOが、そのような方向転換を行ったかというと、
SEIKOの高級時計ブランドである、「グランドセイコー」の人気度にあります。
ロレックスやオメガに、認知度、人気度で勝つことが出来ないかららしいのです。
しかしながら、その美しい外観と、精密なムーブメントで、根強い支持を受けています。
実は、精密機械メーカーの「協和精工株式会社」が美しい外観に貢献しています。
協和精工株式会社
協和精は1963年に、東京都江戸川区に設立されました。
機械部品や切削工具等の製造販売を手がけていました。
ドリル製造と金属切削の高い技術が大手企業から注目されていました。
翌年、時計の竜頭部分の穴あけに用いる特殊ドリルの開発を依頼されます。
段付ドリルといわれる、ドリルの先端部分と中程の口径が違っているドリルです。
一つの穴で違う大きさの加工が、1工程で可能になるドリルのことを指します。
例えば、口元が10ミリで、途中から奥が5ミリといった穴の加工です。
この段付きドリルを日本で初めて作ったのは、協和精工と言われています。
そして、ここから時計のケース、ブレスレットの製造をも請け負うことになります。
その高い技術力で、大手時計会社の非常に高い水準の要求にも見事に応えていきました。
メーカーの希望を実現させるために、必要な工具などを自分たちで作るようになります。
そしてついには、有名時計ブランドの高級時計も取り扱うようになりました。
SEIKOを始め、有名時計ブランドのOEMメーカーとして、名を馳せていきます。
このように、協和精工はOEMメーカーとしての地位を確立します。
複雑な構造の高級時計の製作に必要なものすべてが揃うことになりました。
次の自然なステップは、「自分たちの理想の時計を作ってみたい!」
そして、2005年、自社ブランド「MINASE」を立ち上げました。
MINASEのロゴマークは、「段付ドリル」をモチーフにしています。
目指すのは「100年後も語り続けることのできる時計」です。
「機械ではなく、熟練した職人の手によって、時計が一つ一つ組み立てられている」
その中でも、特に注目すべきは、「MORE構造」と「ザラツ研磨」の2つの技術です。
特許を取得している技法「MORE構造」
日本の伝統工芸である「組木細工」にヒントを得たものです。
外装パーツを細分化し、ひとコマずつの修理や交換が可能な構造になっています。
摩耗した部品のみを交換できメンテナンスの負担も減らすことが出来ます。
「ザラツ研磨」
下地処理の段階で金属に研磨を施し、仕上がりを、高品質でクリアな鏡面に仕上げる技法
いわゆる「歪が全くない鏡面」に仕上げるものです。
ブレスレットのコマは、職人がひとつひとつ手作業で削り出しています。
職人が手作業で加工、研磨するのは、大変手間のかかる作業ですが、
コンピュータで切削すると、どうしてもブレスレットが「硬く」なってしまうそうです。
この技法は、非常に難易度が高いため、本場スイスの時計でもほとんどないそうです。
世界的にも職人は限られ、MINASEでも、担当職人のわずか2名しかいません。
MINASEの時計は、デザインも、「和」のテイストが盛り込まれています。
「HORIZON」シリーズ
ケース側面の凹みは日本刀にインスピレーションを受けており、サファイアガラスで覆われたドーム型のシルエットを活かすため、短針長針とも、シルエットに沿って、ゆるやかに、刀のように湾曲しているのが特徴です。
「FIVE WINDOWS」シリーズ
風防・裏蓋・ケース側面に、5つの窓(サファイアガラス)が配されており、その5枚のサファイアガラスを通して覗く世界は、小さな日本庭園や箱庭を表現しています。
「DIVIDO」シリーズ
ケースが、上下に分割しており、これは、「鼓」をイメージしています。また、ラグ(腕時計のケースと一体となった、ベルト、ブレスレットを固定する部分)は、「折鶴」のイメージなのだそうです。
時計作りには、研削加工、研磨技術など、日本が得意とする技術が欠かせません。
MINASEは、本場スイスの高級時計の質をも凌駕する時計を作り上げました。
その背景には、50年以上に渡り日本の時計産業を支えてきた確かな技術があります。
技術集約的な時計作りのプロセスには、日本の優秀な技術を活かせる場がまだまだあります。
ヨーロッパに比べると、日本の時計作りの歴史はまだまだ浅いです。
しかし、日本の技術で、本場を驚かすような時計が、出て来るのではないでしょうか。
「時計の本場は日本」そういう日が来るかもしれませんね。